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わたしの原点 マツダで働いた24年
母・子ひとりの母子家庭に
生後二ヶ月で両親が離婚。母は洋裁と洋品店で働きながら私を育ててくれました。いつも着せてもらった母の手作りの洋服が私の小さな誇りでした。18歳まで、山口県阿武郡阿武町奈古で児童扶養手当を受けながら、高校時代は奨学金で学ばせてもらいました。
母を幸せにしたいとマツダに就職
萩商業高校卒業後、迷わずマツダ(株)に就職。
少ない給料の大半を貯金に回し、節約生活を送っていましたが、自分も母も幸せになる道は政治を変えてこそ実現できると20歳で入党。それまで蓄えていた100万円は母にプレゼントしました。
配転で知った、労働者のすばらしさ
入社二年後本社から宇品のプレス工場に配転。男性ばかりの600人近くが働く職場は、暗い・汚い・危険の3K職場でしたが、物を作り出す労働者の、力強さ・明るさに「人間はすばらしい」と感じました。労働者のごっつい手、油まみれの手が大好きです。
合言葉は「元気で100点」「未来」バンドで仲間とともに
1978年に結成された党付属バンド「未来」のメンバーになりサックス演奏を担当。市内で三回のコンサートを開催、各地の赤旗まつりにも出演。参加者の熱いエールが大企業の職場でがんばる勇気をわたしにくれました。
主人とも「未来」バンド仲間として知り合いました。彼はボーカル。現在もマツダの現業労働者です。
昇給差別・仕事の取り上げにも負けず
15年間昇給せず、理由を聞くと、仕事を取り上げられました。二人の子どもの為にも、こんな理不尽なことを許してはならないと踏ん張った4ヶ月間。「負けるな。頑張れ!」支えてくれた夫。国の出先機関である「婦人少年室」に実態を告発。仕事は復活しました。鍛えられた毎日でした。
働く者の権利を守れと意気高く
1999年に24年間勤めたマツダを退職、政治の場へ。「サービス残業をなくせ」と取り組んだ運動が実り、2001年、国が是正へ。全国で81億円の未払い残業代が支払われました。
差別なく、まじめに働く者が幸せになれる社会の実現を目指してこれからも初心を忘れず頑張ります。
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