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しがらみ 第三弾・官業癒着 !     日本人権擁護協会 理事長 大賀吉員
2007/12/30 (日) - No.248

・・・人身御供は必要悪か・・・

一 税務署出身の税理士事務所では「3年に1回(馴れ合いによる不正行為の防止等を目的としたと考えられる)調査が必ずあり、その為お土産(人身御供)を造って置く」と聞く。

1 つまり、己の税務署対策として、クライアントの中から脱税者を手土産として「人身御供的に差し出す」という悪習が生まれたとか。さらに、他のクライアントの審査に手心を加えて貰う・阿吽の呼 吸を得るためも含まれるとか・・・。

2 某会計事務所では、クライアントに適切な申告を促さなかったに止まらず、脱税行為に積極的に加担!重要な役割を果たしながら、摘発されるよう仕向けていた疑いも、そして摘発を受けるや(当初から)重加算税等を払うよう説得していた。

3 税は国の血液!根幹を揺るがす脱税者を庇い立てする理由はなく、その責めを受けるのは当然のことであるが、税の専門知識の乏しい人は少なくなく、税理士に相談するのが一般的!しかし、専門家が適切な対応を怠った、或いは(税理士等の)思惑含みの責任全てをクライアントが背負わされるのは如何なものか?

4 また、摘発は脱税者のみならず(風聞によって)国民に納税意識の覚醒というメリットがあるが、35%の重加算税、14.6%の延滞税等を含めると脱税者が支払う総額は確定金額の2倍となり、それが引き金と見られる倒産・自殺者も・・・。悲劇は食い止められた可能性を内包する。

5 税理士の卑劣な行為は税務署にも脱税者の摘発を容易にするというメリットが。しかし、悪習は冤罪を生みかねずクライアントの将来を破滅に導きかねない!

二 クライアントに対して「信義に下づいた適切な説明」は専門家として当然果たすべき義務。しかるに、人を騙しても儲かれば上手な生き方!人生の成功者か?クライアントは税理士を信じている!信頼を逆手に取る手法は許されるか?己の保身・事務所の繁栄!存続は許されるか?

三 さて、問題発生原因は(税金を)少しでも少なく払いたいと言う気持ちに、「うまくやれる?」という誘惑・・・。中々抗し難い所に落とし穴があるが、条件が揃えば誰でも犠牲者になる危険を孕む悪習を必要悪と考えるべきなのか。

四 国税局は納税団体係で税理士の不祥事の訴えを受け付けているが、税務署単位では総務課が担当しており、適正に処理されているか否か、甚だ疑問!その理由は。

(1) 3年に一度の調査が、同僚・先輩・後輩といった人間関係の中で形骸化が疑われ、本来の調査目的が適正に果されているか。

(2) 人身御供としてクライアントを差し出すこと・調査対象選別のお手伝いは合法か。

(3) 国民に、税理士を「守秘義務で縛っているから何を話しても安心」としながら、お土産を受け取っていた!守秘義務をどのように理解していることか・・・。

怒りの1万1千人、岩国集会につどう     辻つねお
2007/12/05 (水) - No.247

12月1日、岩国市の錦帯橋の河川敷を会場にした「国の仕打ちに怒りの1万人集会in錦帯橋」に参加してきました。中林よしこ元衆院議員も集会に参加していました。
集会には1万1千人が集まり国への怒りと抗議の集会になりました。集会には日本共産党の穀田啓二衆院議員、仁比聡平参院議員をはじめ民主党、社民党などの国会議員が激励と連帯の挨拶をしました。
 井原勝介市長は庁舎建設補助金を突然カットしてきた国を厳しく批判し、今度の問題は岩国だけの問題でなく地方自治、民主主義を守ることであり、どこでも起こりうることだと述べました。そして、自らの手で新しい民主主義を勝ち取ろうと訴えました。全くその通りだと拍手を何度も送りました。
 1万1千人が「怒」と書いた文字をみんなでかざし「国の仕打ちは許さん怒(ど)」と何度も唱和しましたが、国民が政治を動かす、そのエネルギーをいまここにあると感じました。
 写真は集会前に錦帯橋をバックに写したものです。

「福山生活と健康を守る会」と芋ほりとバーベキュー     辻つねお
2007/10/26 (金) - No.244

 10月21日、福山市服部の山中にある大元さんの畑で芋ほりをバーベキューを楽しんできました。企画したのは福山生健会の皆さんでした。この日は、日和もよく澄んだ空気をたらふく吸い、肉も堪能しました。午後からは駅前で「10・21実行委員会」に合流して街頭宣伝をしました。

豊かさ?     日本人権擁護協会 理事長 大賀吉員
2007/08/29 (水) - No.240

辻 つねお先生
 残暑お見舞い申し上げます
 政府は改革の名の下に「儲ける事を人生最大の目的」とする市場原理主義を取り入れた。以降好景気と言うが、悲惨な状況も生まれている!予測出来なかったのだろうか?

どうもそうではないようだ。「選ばず、何でもやれば食べていける」と中庸を退けた総理がいた。つまり、市場原理主義を導入するという事は「地域・労働格差の拡大、倫理的、社会的、人間的な営みが軽視され、一人一人の市民の心を大切にした、人間らしい生活を営むことが出来るような社会環境が失われていく事は判っていた!」といえる。 そうなろうとも、日本の経済を建て直し借金地獄から逃れようとしたのだろう。



さて、年間自殺者が9年連続で3万人を超えるというが、原因は把握されておらず具体的な対策はこれからという。なぜ9年も放置されたのか、いくら自ら選んだ死であっても「他に選択肢が無いと考えた結果!?」は完全否定出来ない。社会の問題は政治の責任!まして、対応の遅れは弱者切捨てと受け取れるが、国策から生まれたのであれば、政治には責任を持って救済する重い責任がある。



先ごろ、生活保護費の圧縮による自殺者?が報道された。当会にも寄せられている“体が不自由で働けない。あまりの締め付けに同じ苦しみを持つ人に相談したところ、それを聞きつけた担当者から「二人で話した事を他の人に言うのなら打ち切る」と、脅された”という。 担当者に確認すると「悪びれることもなく、いともあっさりと受給者の訴えを認めた。」 受給者は肩身の狭い思いをしながら社会の片隅でひっそりと生きている。苦しさにふと漏らすこともある。それさえ許されない社会に!?



憲法は、すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営みえるように国政を運営すべきことを国の責務としている。そして、「国民の具体的権利は、憲法の趣旨を実現するために制定された生活保護法によって保障されている。」窓口は地方自治体!人命が掛かっている!責任は小さくなく、実態の把握が急がれる。何卒ご尽力を!






8月     辻つねお
2007/08/10 (金) - No.239

鞆の浦での海水浴場から眺めた真夏のひと時です。

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