広島自治体問題研究所
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2024年5月号表紙絵

 (2024/04/19)
 
表紙の写真「慈仙寺の墓石」 = 橋本和正さん
 
 慈仙寺は爆心地から約 200m、全ての建物は壊滅。爆風で境内にあった墓石も吹き飛ばされ散乱しました。被爆当時の姿で残されたこの墓は、広島藩浅野家の岡本宮内のもの。池のように見えるが、この部分が当時の広島の地面。
 

2024年4月号

 (2024/03/21)
  表紙の写真「原爆供養塔」 = 橋本和正さん
 1955年8月5日建立。1946年、広島戦災供養会(超宗派団体)を中心とした市民の寄付により
仮設の供養塔、納骨堂、礼拝堂が建立された。老朽化で現在のものが建立された。
 被爆直後、爆心地に近い慈仙寺(現在の原爆供養塔付近)の境内は、臨時火葬場となり、無数の
死体が火葬された。その後、市内の復興や平和記念公園などの建設が進められ、瓦礫の中から次々
と見つかった遺骨も収められた。
 

2024年3月号

 (2024/02/19)
 
表紙の写真「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」 = 橋本和正さん
韓国人原爆犠牲者慰霊碑建立委員会により、1970年4月10日建立。
当初は朝鮮李王朝の李鍝が被爆後に救助された場所に近い本川橋西詰め(堺町一丁目)に建立された。1999年に現在の位置に移設された。
 

2024年1・2合併号

 (2024/01/25)
 
表紙の写真「嵐の中の母子像」 = 橋本和正さん
彫刻家・本郷新(ほんごうしん)の作品。
1959年、第5回原水爆禁止世界大会広島大会を記念して石膏像が広島市に寄贈された。鋳造費募金
活動によって1960年ブロンズ像が広島平和公園に設置された。
 
 

2023年12月号

 (2023/12/28)
 
表紙の写真
「マルセルジュノーの碑」 = 橋本和正さん
 1945年8月9日、マルセル・ジュノーは、赤十字国際委員会(ICRC)駐日主席代表として
来日した。来日の目的は、連合軍捕虜などの処遇を調査し、やがて訪れる終戦時に捕虜たちの帰還を行うことでした。しかし、原爆被害の惨状を知ると直ちに連合軍司令部(GHQ)へ救援を要請、+戦争が終わるや調達した15トンの医薬品を持って9月8日に自らも広島入りし、被害調査に当たるとともに治療に携わりました。
 

2023年11月号
 

 (2023/10/23)
 
表紙の写真「平和の像『若葉』(湯川秀樹歌碑 1966年5月9日建立)」 = 橋本和正さん
「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」という湯川秀樹の歌を
きざんでいる。少女と子鹿のブロンズ像は、円鍔勝三さんの作品(広島県御調町生)
 

2023年10月号
 

 (2023/09/22)
 
表紙の写真「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑(1971 年8月4日建立)」 = 橋本和正さん
銘文「太き骨は先生ならむ そのそばに ちいさきあたまの骨 あつまれり」(正田しょうだ 篠枝し の え)
 

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