広島自治体問題研究所
  広島自治体問題研究所

お問い合せ  

 アクセス

 
戻る  一覧

2025年7月号

 (2025/06/24)
 
表紙の写真「被爆建物・袋町小学校平和資料館(袋町国民学校)爆心地から460m 中区袋町」= 橋本和正さん
  鉄筋コンクリート造3階建の校舎は、原爆によって外形だけ残して焼失。焼け残った校舎は、避難場所や救護所として使用され、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる「伝言」が記された内壁の一部などが保存されている。
 

2025年6月号

 (2025/05/22)
 
表紙の写真「旧制広島市立中学校原爆死没者慰霊碑 『三百六十九霊塔』」 = 橋本和正さん
 移転前天満川左岸緑地にて
 1945年8月6日、小網町周辺で建物疎開作業に動員されていた、旧制広島市立中学校(現基町高校)教職員及び生徒約370余名が犠牲となった。
 慰霊碑「三百六十九霊塔」が1947年小網町の三光寺境内に建立された。1975年慰霊碑は、三光寺境内から生徒が被災した場所である天満川河岸緑地へと移され、2018年8月6日天満川の高潮堤防工事に伴い、広島市立基町高等学校の敷地内へ移された。
 

2025年5月号

 (2025/04/17)
 
表紙の写真「さくら隊原爆殉難碑」 = 橋本和正さん 原爆で全滅した移動劇団「桜隊」の殉難碑(碑の表記は「さくら隊」)。
 桜隊は1945年1月に結成。新劇の丸山定夫を隊長に園井恵子ら9人で編成し、広島を拠点に活 動した。7月に島根、鳥取を巡演した隊員は、次の公演に向けて堀川町(現中区新天地)の宿舎で 8月6日を迎えた。5人は即死。丸山、園井ら4人はそれぞれ宮島、神戸、東京へと逃れたが、月 末までに相次いで亡くなった。


 

2025年4月号

 (2025/03/19)
 
表紙の写真「原爆犠牲者追憶之碑(広島瓦斯株式会社)」 = 橋本和正さん
 広島瓦斯(ガス)株式会社本社は、被爆当時、追憶之碑が建つ場所(爆心地から約210メートル・中区大手町)にあった。
 鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階建ての建物は、原爆により、南側の1部を残して崩壊し、屋内にいた約35名の職員は、全員が死亡した。
 すさまじい爆風と爆圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちた。
 
 

2025年3月号
 

 (2025/02/20)
 
表紙の写真「旧日本銀行広島支店」(被爆建物) = 橋本和正さん
 爆心地から380m(広島市中区袋町) 
 被爆時、1、2階は鎧戸を閉じていたため内部の大破は免れたが、3階は開けていたため大破全焼した。現在は文化財として公開され「芸術・文化活動の発表の場」として活用されている。
 

2025年1・2月合併号

 (2025/01/24)
 
表紙の写真「『平和の碑』原爆被災者救護の地」 = 橋本和正さん
    2000年3月建立(廿日市小学校(廿日市市本町)校庭)
 広島原爆被災者は旧廿日市国民学校にも多数避難し救護された。子どもたちは被爆の実相と小学校の歴史を学び育っている。
 

2024年10月号

 (2024/09/20)
 
表紙の写真「全損保の碑」(建立 1965年8月6日) = 橋本和正さん
 被爆当時、市内には14の保険会社に200人の社員が勤務、そのうち89人が原爆の犠牲になった。
 この碑は、広島の全損保労働組合が全国の仲間に募金を呼びかけ、碑文や碑の形も募集した。「なぜ あの日はあった なぜ いまもつづく 忘れまい あのにくしみを この誓いを」という碑文。
 

  次ページ

連絡先 〒730-0051 広島市中区大手町5丁目16−18    

Tel: 082(241)1713 Fax: 082(298)2304  E-mail: hjitiken@urban.ne.jp