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2025年4月号
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(2025/03/19)
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表紙の写真「原爆犠牲者追憶之碑(広島瓦斯株式会社)」 = 橋本和正さん 広島瓦斯(ガス)株式会社本社は、被爆当時、追憶之碑が建つ場所(爆心地から約210メートル・中区大手町)にあった。 鉄筋コンクリート造り、地上3階・地下1階建ての建物は、原爆により、南側の1部を残して崩壊し、屋内にいた約35名の職員は、全員が死亡した。 すさまじい爆風と爆圧によって、各階の床と天井が1枚になって崩れ落ちた。
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2025年3月号
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(2025/02/20)
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表紙の写真「旧日本銀行広島支店」(被爆建物) = 橋本和正さん 爆心地から380m(広島市中区袋町) 被爆時、1、2階は鎧戸を閉じていたため内部の大破は免れたが、3階は開けていたため大破全焼した。現在は文化財として公開され「芸術・文化活動の発表の場」として活用されている。
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2025年1・2月合併号
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(2025/01/24)
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表紙の写真「『平和の碑』原爆被災者救護の地」 = 橋本和正さん 2000年3月建立(廿日市小学校(廿日市市本町)校庭) 広島原爆被災者は旧廿日市国民学校にも多数避難し救護された。子どもたちは被爆の実相と小学校の歴史を学び育っている。
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2024年10月号
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(2024/09/20)
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表紙の写真「全損保の碑」(建立 1965年8月6日) = 橋本和正さん 被爆当時、市内には14の保険会社に200人の社員が勤務、そのうち89人が原爆の犠牲になった。 この碑は、広島の全損保労働組合が全国の仲間に募金を呼びかけ、碑文や碑の形も募集した。「なぜ あの日はあった なぜ いまもつづく 忘れまい あのにくしみを この誓いを」という碑文。
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2024年9月号
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(2024/08/23)
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表紙の写真「広島市原爆死没公務員慰霊碑」 = 橋本和正さん 1965年12月18日建立 広島市役所本庁舎前庭 慰霊碑建立と合わせた実態調査によると、粟屋市長(当時)をはじめ、原爆の犠牲となった市役所職員及び市会議員死没者数は445名。 爆心地から1キロメートルの位置にあった本庁舎は、躯体は残ったが、内部は焼失。
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2024年8月号
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(2024/07/19)
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表紙の写真「広島県職員原爆犠牲者 慰霊碑」 = 橋本和正さん 1958年8月6日建立。広島市中区加古町、アステールプラザの南西、本川河岸緑地。 この辺りに当時、広島県庁(爆心地から850メートル)や広島県病院があった。木造の広島県庁舎は倒壊・全焼し、職員の多くは即死か倒壊物の下敷きとなったまま焼死した。碑の横に犠牲者1,134人の名前が刻まれた名録碑がある
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2024年7月号
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(2024/06/20)
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表紙の写真「広島原爆爆心地 島病院(現、島内科医院)」 = 橋本和正さん 1945年8月6日午前8時15分、原子爆弾投下。島病院が爆心地となった。病院は玄関の柱を残して全壊した。医師や看護師、患者約80人が亡くなった。
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