広島自治体問題研究所
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2025年11月号

 (2025/10/23)
 
表紙の写真
「広島・長崎原爆殉難 平和祈念碑」 = 橋本和正さん
 「長門・大津原爆被爆者友の会」(1973年創設、現在は解散)が、原爆死没者の供養のため1993年8月に長門市湯本の大寧寺境内に建立。
 2025年3月に長門市・大寧寺を訪問時に「祝 ノーベル平和賞受賞」の横断幕を掲げていた
 

2025年10月号

 (2025/09/24)
 
表紙の写真 「広島県立広島第二高等女学校殉国学徒の碑」
「広島女子高等師範学校・同附属山中高等女学校殉国学徒の碑」
  (1952年8月6日建立。中区国泰寺町一丁目荒神堂境内) = 橋本和正さん
 2つの碑は、爆心地から1.2キロメートルの同じこの地・雑魚場町(現在の国泰寺町一丁目)で被爆して犠牲となった女生徒らを悼み、同じ台石に建てられている。
 

2025年9月号

 (2025/08/22)
 
表紙の写真 
 「広島市立本川小学校平和資料館(被爆建物) 爆心地からの距離410m」 = 橋本和正さん
  1928年に本川尋常高等小学校として建設される。鉄筋コンクリート造の校舎は、原爆により外形だけを残して完全に焼失。被爆後は被災者の救護所として使われた。
  
 生徒約400名と教員10名が犠牲となり、生存者は教員と生徒各々1名。1988年から校舎の一部が平和資料館として使用されている

2025年8月号

 (2025/07/18)
 
表紙の写真「原爆犠牲建設労働者・職人之碑(全国建設労働組合総連合会・1988年8月5日建立)」= 橋本和正さん
  召集を受けるなどして作業に従事中、原爆の犠牲になった建設職人の霊を慰めようと、1987年、長崎で開かれた「第2回建設労働者・職人の集い」での呼びかけに全国の組合員から約1千万円の寄付が集まり、広島と長崎での同時建立が実現。
 
 

2025年7月号

 (2025/06/24)
 
表紙の写真「被爆建物・袋町小学校平和資料館(袋町国民学校)爆心地から460m 中区袋町」= 橋本和正さん
  鉄筋コンクリート造3階建の校舎は、原爆によって外形だけ残して焼失。焼け残った校舎は、避難場所や救護所として使用され、児童・教職員や地域の人々の安否を尋ねる「伝言」が記された内壁の一部などが保存されている。
 

2025年6月号

 (2025/05/22)
 
表紙の写真「旧制広島市立中学校原爆死没者慰霊碑 『三百六十九霊塔』」 = 橋本和正さん
 移転前天満川左岸緑地にて
 1945年8月6日、小網町周辺で建物疎開作業に動員されていた、旧制広島市立中学校(現基町高校)教職員及び生徒約370余名が犠牲となった。
 慰霊碑「三百六十九霊塔」が1947年小網町の三光寺境内に建立された。1975年慰霊碑は、三光寺境内から生徒が被災した場所である天満川河岸緑地へと移され、2018年8月6日天満川の高潮堤防工事に伴い、広島市立基町高等学校の敷地内へ移された。
 

2025年5月号

 (2025/04/17)
 
表紙の写真「さくら隊原爆殉難碑」 = 橋本和正さん 原爆で全滅した移動劇団「桜隊」の殉難碑(碑の表記は「さくら隊」)。
 桜隊は1945年1月に結成。新劇の丸山定夫を隊長に園井恵子ら9人で編成し、広島を拠点に活 動した。7月に島根、鳥取を巡演した隊員は、次の公演に向けて堀川町(現中区新天地)の宿舎で 8月6日を迎えた。5人は即死。丸山、園井ら4人はそれぞれ宮島、神戸、東京へと逃れたが、月 末までに相次いで亡くなった。


 

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