広島自治体問題研究所
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2025広島県政白書をつくろう NO.3
 

 (2024/04/18)
 
民主県政をつくる土台は何か。
「今こそ地方自治を住民の手に」の本の流れから、宮本健一さんがおおいに語っています。今回の県政白書の捉え方を学んでみます。

1.新憲法下における地方自治研究の未確立と自治研運動の構想づくり
  新憲法第8章に地方自治団体の組織運営が規定されていますが、日本の場合、地方行財政や地方自治は大正デモクラシー前後の一時期を除き、必ずしも学会や研究者のなかでは十分な議論・研究がされていなくて、憲法学者でも、「民主的な中央政府があれば地方自治も民主的になる」という考え方が多かったのです。
 ところが財政の確立がないもとで、「地方財政再建促進特別措置法」という地方自治を侵害するような法律が年に作られたのですから、たちまち地方財政が困窮に陥ってて多くの自治体が、当時多発した台風などの災害復旧の費用すら支出できない状態になった。当時自治労連と自治労協という自治体労働者の労働組合が統一し(年)自治労が発足しました。その後、「地方自治とは何か」「地方行財政はどうあるべきか」ということを勉強する必要が生まれた。
 自治研運動をめぐっては、研究者と労働組合との間に重要なことについて意見が分かれていました。自治労としては「自治研は自治労のための組合活動である」として研究者は「そうじゃない、これは国民の自治研あるいは市民の自治研運動であって、決して組合・自治体労働者だけの研究集会ではない」としていました。

このときは閃々汲々の議論の末、妥協案のようなもので「自治研活動とは、住民の地方自治を守り、民主主義を発展させるための自治労の運動」とすることで、とりあえず落ち着きました。
2.自治体問題研究所設立大阪でスタート
 そんな経過もあって、このままでは、自治研運動の本来の狙いである、市民の手に地方自治を取り戻す運動にならない、自治労が「うん」と言わなければ動かないのでは困ると言うことで、本来の市民の自治研・国民の自治研というものを研究し活動する研究所を作るようになったのです。
設立を支えた衛都連の行動綱領草案(発表)には、地域住民の要求を基礎にして自治体の民主化をかちとり、真の地方自治を実現するため、「地域住民の繁栄なくして、自治体労働者の幸福はない」と述べています。もう一つは、高度経済成長期の都市政策の先端を走っていたのが当時の大阪だったと言ことで、大阪府は企業局を作り、知事部局から完全に行財政系が独立する形で、社会資本を全部作る、サービスをする、収入も確保する、そういうすごい部局が活動していたのです。
ですが、全国的にも地域版の自治体問題研究所づくりが進んできましたし、事務所が大阪だと情報が当時の自治省とか政府の動きの情報があまり入らないのです。本が売りにくいのです。10年後の年に事務所を東京に移すことになりました。

3.革新自治体成立の基盤となった自治研活動
  当初の自治研活動は、職場自治研と呼ばれていて、自治体の実際の姿がどうか、福祉の施策や職場の実態がどうだとか、公共事業がどうなっているかという風に、部門別のそれをどう民主化するかが中心だったのです。
 日本の高度経済成長(−年)の中で地域開発が行われていて、一方で住民福祉が侵害されている、公害が起こっているじゃないかと、いうことで、研究者からも「総合的な政策批判の自治研にせよ」「職場自治研に留まらず政策自治研にすべき」という議論されて、自治研の年の第回静岡集会が最初の政策自治研になりました。
 そこでの大きなテーマは「地域開発の夢と現実」。これは実際に多くの自治体が将来展望として、ものすごいお金をつかって、港湾を作り、道路、ダムをつくり、工場を誘致していたので、そこから起こっている住民生活の侵害の実態を明確にしよう。地方行政というのは企業の奉仕をするようなものではないと、そのことを明確にしたのです。
 四日市の公害問題が引き金になって、全国に公害反対運動が起こり始めます。それで勝利して、市民運動というものが一定の社会運動として認められるようになりました。社会運動というのは、労働運動と市民運動という二つの運動を結合して進んでいかなきゃならないんだと言うのが60年代に出来てきたわけです。そういう意味では、自治研活動は非常に大きな役割を果たしたのです。
 革新自治体が成立することが出来たのは、もちろん社会党・共産党の両党や総評、これが実際に主力となったことは確かなのですが、公害反対運動が、住民福祉を求める運動として、この時から力を持つようになったからです。

革新自治体とは、
 政府直結の地方政治を行うのではなく、野党とその支持者や労働組合、さまざまな住民団体などに支持基盤を置いた首長のもとにある地方自治体の事を言います
 代表的な例として、都道府県では
           蜷川虎三の京都府(1950〜1978)、美濃部龍吉の東京都(1967〜1979、
    黒田良一の大阪府(1971〜1979)、長洲一二の神奈川県(1975〜1995)、
    屋良—平良知事時代の沖縄県(1972〜1978)。
 市町村でも大きく広がり 1978年には、8都府県、4政令市、97市、4特別区。97町村の210自治体、人口480万人(総人口の44%)にも上りました。
 しかし、こうした政治状況に危機感を持った当時の政権党自民党は、革新政党の一部や、住民運動に対して、反共意識をあおるなどで分断するともに、「職員厚遇」「ばらまき政治」など、事実無懇の熾烈な攻撃を展開し、財政・経済政策の不在などの弱点とも相まって、年代後半から徐々に後退していきました。

 



     
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