日本共産党 広島県議会議員

辻つねお

憲法を暮らしの隅々に

しんぶん赤旗
購読申し込み

メール

お問い合わせ リンク集 サイト内検索

辻つねお

home 日記 県議会 調査・活動 政策 住民訴訟 一言 辻つねお
 

      辻 つねお プロフィール

                      

氏   名 

辻  恒雄
  生年月日 1949 年 7 月 8 日
  家   族 妻 と 二女
  趣   味 木造帆船模型づくり 帆船
    山歩き 山
    旅行 旅行
                       県議会控室  
  住    所 〒730-0011  広島市中区基町 10−52
  電        話 082−513−4667      082−228−6577
  F  A  X 082−223−2034
  E メ ー ル t-tsuji@pref.hiroshima.jp
  福山事務所  
  住    所 〒720-0052  福山市東町2丁目3−23
  辻県議携帯 090−3632−7388
自   宅  
  住   所 〒720-0004   福山市御幸町中津原1928-10
  電   話 084−955−5357
  F  A  X 084−955−5365

     略  歴

大阪市西成区花園町に生まれ3男2女の末っ子。
小学校の掃除時間は、ほうきを抱えてのエレキごっこ。放課後は、エビつりに熱中し、トンボとりも得意でした。
  担任の先生は「あっさりして、男らしい子どもだ」と温かく見守ってくれました。宿題以外は遊んでばかりいました。
中学校3年生の時「家が貧乏だから私立高校にはいけない。このままでは公立高校は無理」と考え込み、
  夏休みから本気で勉強に取り組み、何とか公立高校に入学。
高校時代は生物部水生班で楽しく過ごす。ショウジョウバエを使っての遺伝の研究は大変おもしろかった。
1970年、広島大学水畜産学部(現生物生産学部)に入学。
  入学後、すぐに日本民主青年同盟に入り、部落問題研究会にも籍をおきました。
教養部自治会再建運動や地域活動や映画「橋のない川」の学内上映に取り組む。
「差別映画」だと実力粉砕が叫ばれる中、大学正面の掲示板に映画会のポスター貼りは、
  大げさのようですが「ほとんど決死の覚悟」で、夜中、強行しました。
当時、大学では鉄パイプや角棒で「武装」したニセ「左翼」暴力集団が、わがもの顔でのし歩き
  教養部新館の新館前では、アジ演説が繰り返されていました。
  ある日、教養部新館前にある図書館の二階から彼らの演説を聞いていると、
  突然ヘルメットに手ぬぐいで覆面をした2人組が、私の両脇をつかみ無理やりアジ演説の場所へ連れて行きました。
  クラス討論のことが原因ですが、かれらのアジトとしての自治会室に連れ込もうとしましたが、何とか振り切りました。
「暴力が肯定される時、最初に否定されるのが民主主義。
  それと正面から戦った日本共産党員の姿は、今も目に焼きついている。これが私の原点」となっています。
こうした経験をつうじて学部に進学する前に日本共産党に入党。
  当時、広島に残らないかとの話もありましたが、研究者になりたくて学部のある福山へ。
  活動と勉学に・・・、★年半の教養部でした。
水畜産学部で自治会委員長(学友会会長)に立候補して、たすきをかけて各クラスに公約の演説を。
  この時がタスキの「かけ初め」です。選挙に勝ち活動を始めましたが、
  ある教官は「辻君は研究者より政治家の方がむいているかもしれんな」と。
1987年4月、福山市議初当選。いらい、市議二期7年、県議五期目。
  県議会では生活福祉保健委員会委員、農林委員会委員などを歴任。
  現在、生活福祉保健委員会委員、地域医療・健康づくり対策特別委員会委員。
  党所属は日本共産党広島県委員会常任委員。