略 歴 |
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大阪市西成区花園町に生まれ3男2女の末っ子。 |
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小学校の掃除時間は、ほうきを抱えてのエレキごっこ。放課後は、エビつりに熱中し、トンボとりも得意でした。 |
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担任の先生は「あっさりして、男らしい子どもだ」と温かく見守ってくれました。宿題以外は遊んでばかりいました。 |
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中学校3年生の時「家が貧乏だから私立高校にはいけない。このままでは公立高校は無理」と考え込み、 |
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夏休みから本気で勉強に取り組み、何とか公立高校に入学。 |
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高校時代は生物部水生班で楽しく過ごす。ショウジョウバエを使っての遺伝の研究は大変おもしろかった。 |
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1970年、広島大学水畜産学部(現生物生産学部)に入学。 |
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入学後、すぐに日本民主青年同盟に入り、部落問題研究会にも籍をおきました。 |
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教養部自治会再建運動や地域活動や映画「橋のない川」の学内上映に取り組む。 |
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「差別映画」だと実力粉砕が叫ばれる中、大学正面の掲示板に映画会のポスター貼りは、 |
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大げさのようですが「ほとんど決死の覚悟」で、夜中、強行しました。 |
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当時、大学では鉄パイプや角棒で「武装」したニセ「左翼」暴力集団が、わがもの顔でのし歩き |
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教養部新館の新館前では、アジ演説が繰り返されていました。 |
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ある日、教養部新館前にある図書館の二階から彼らの演説を聞いていると、 |
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突然ヘルメットに手ぬぐいで覆面をした2人組が、私の両脇をつかみ無理やりアジ演説の場所へ連れて行きました。 |
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クラス討論のことが原因ですが、かれらのアジトとしての自治会室に連れ込もうとしましたが、何とか振り切りました。 |
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「暴力が肯定される時、最初に否定されるのが民主主義。 |
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それと正面から戦った日本共産党員の姿は、今も目に焼きついている。これが私の原点」となっています。 |
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こうした経験をつうじて学部に進学する前に日本共産党に入党。 |
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当時、広島に残らないかとの話もありましたが、研究者になりたくて学部のある福山へ。 |
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活動と勉学に・・・、★年半の教養部でした。 |
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水畜産学部で自治会委員長(学友会会長)に立候補して、たすきをかけて各クラスに公約の演説を。 |
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この時がタスキの「かけ初め」です。選挙に勝ち活動を始めましたが、 |
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ある教官は「辻君は研究者より政治家の方がむいているかもしれんな」と。 |
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1987年4月、福山市議初当選。いらい、市議二期7年、県議五期目。 |
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県議会では生活福祉保健委員会委員、農林委員会委員などを歴任。 |
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現在、生活福祉保健委員会委員、地域医療・健康づくり対策特別委員会委員。 |
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党所属は日本共産党広島県委員会常任委員。 |